決勝トーナメント進出を決めた日本代表には、各方面からの称賛が集まっている。菅首相を始めとする政治家も例外ではない。WBCの時もそうだった。日本人選手が五輪で金メダルを獲得した時も同じようなことが起きる。勝った日本に、政治家たちは群がる。
サッカーが、野球が、スポーツが好きだから、ではない。
大前提として、政治はスポーツに介入すべきではないとわたしは思う。ジョナサン大統領しかり、内部崩壊しつつあった代表チームをテコ入れしようと動いたフランスのサルコジ大統領しかり、である。
だが、勝者に群がることにはなんの躊躇(ちゅうちょ)もしない一方で、勝者を生み出そうとする努力をしない、つまり日本のスポーツ選手たちの環境 を改善しようとは考えもしない日本の政治家を見ていると、この国におけるスポーツが文化とは程遠い、単なる消費の対象でしかないことを思い知らされる。
政治家とは、国民の代表である。政治家がスポーツを消費の対象としか考えていないということは、日本国民が、檜(ひのき)舞台だけを楽しんであと
はほったらかしで構わないと考えていることでもある。政治家の発言のブレが問題だというならば、いま岡田監督を名監督だと祭り上げている人たちは、数週間
前、どんな態度で岡田監督を眺めていたのか。
勝つ日本を見るのがそれほど嬉(うれ)しいなら、次も勝てるようにするための努力が必要なはず。相手を圧して勝ったわけではない場合は、なおさらである。
だが、日本人はスポーツを育てようとはしない。ただ消費する。
ボリス・ベッカーの出現をきっかけに、ドイツのテニスは一気に飛躍した。ベッカーを消費せず、きっかけにしたことで後進を育てる環境を充実させていった。
日本人は、社会全体で第2の伊達公子を、第二の荻原兄弟を育てようとしただろうか。現場の人間の努力だけでは、どうにもならないことがあることを、日本の政治家は、もとい、日本人は、わかっているのだろうか。(スポーツライター)
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